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Annie’s Black(SARINO)インタビュー「Annie’s Black、幻の1stアルバム『departure』をSARINOの誕生日にサブスク解禁!」

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Aioria、TINC(Shelly Trip Realize)のヴォーカリスト、そしてメイン・コンポーザーとして活動してきたSARINO。彼が、TINC解散後に始めたソロ・プロジェクトがAnnie’s Blackだった。

2009年2月10日に立ち上げたAnnie’s Blackは、2010年7月に舜(NEiN、覇叉羅、the FUZZ)、MORI(Wyse)、淳-jun-(Waive)、TAKAFUMI(ex; KING)といった強烈なサポート陣を迎え、渋谷O-EASTで開催された「LOOP Open!」への出演を機に本格始動した。その後、そのメンバーとともにアルバム『departure』を完成させるが、SARINO自身が音楽とは異なる分野へ活動の場を徐々に移したこともあり、Annie’s Blackは「終幕」を告げることなく、その活動をフェードアウトしていった。

2026年5月1~2日の公演をもって、SARINOが長く席を置いてきたレーベルの一つである「LOOP ASH」の代表・未散が表舞台から正式に引退した。彼の有終の美を飾るイベントのサポートアクトとして、未散がリーダーを担い、SARINOがヴォーカリストとして活動していたAioriaが出演した。未散は、SARINOが「引退」を正式に表明することなく表舞台から去ったこと、そしてSARINO自身がそのことに後悔の念を抱いていたことを知っていた。そこで、みずからの引退の舞台にSARINOの始まりのバンドであるAioriaを一夜限りで復活させ、SARINOにも正式に「ミュージシャンとして引退を表明する場」を設けた。だが、そこでSARINOにまつわる物語が終わることはなかった。

現在は2社を経営する起業家へと転身し、本名の荻野正法として活動するSARINOだが、彼の音楽人生を語るうえで欠かせない作品を今こそ世に届けようと、プロデューサーの未散が、SARINOとファンにとって大切な記念日に粋な計らいを用意した。それが、SARINOの誕生日である9月25日に、今や幻の音源として語り継がれてきたAnnie’s Blackの1stアルバム『departure』を配信リリースすることだった。

ここでは、Annie’s Blackとして活動していた当時の思いはもちろん、現在の起業家としての活動にもスポットを当てながら、SARINOの今の心模様をお伝えしたい。


ふたたびステージに立つのは考えていないし、考えられない。

──5月1日に豊洲PITで見せたAioriaのラストライブでは、現役バンドに負けないどころか、初めてSARINOさんに触れた人たちの心まで奪うような素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。

SARINO  あのときは、僕自身がステージに上がるのは9年ぶりでした。そのブランクがあったにも関わらず、あの日のライブを観た方々にも、同じような言葉をたくさんいただきました。ブランクを感じさせないライブができたという面では、とても良かったなと思っています。

──まさに、命を注ぎ込んだライブでしたからね。

SARINO  僕自身、15年にわたりアーティストとして音楽活動を続けてきました。音楽に携わってからで数えたら20年以上になります。その活動終期頃には、今、携わっている仕事が忙しくなり、次第にライブ活動から遠ざかったこともあって、ファンの方々には「引退します」という言葉を告げることなくステージから離れ、音楽活動自体をフェードアウトしてしまいました。それが、自分の中でもずっと心残りとしてあったことでした。

その気持ちを抱えたまま仕事をしていたときに、現役時代に大変お世話になった未散さんが引退されるというお話を聞きました。しかも未散さんは、自分の引退のみならず、僕にも「SARINO、自分にケジメをつけるためにも、原点となるバンドのAioriaとしてステージに立って、みんなに「引退します」と告げるのもいいんじゃない?」と、僕にまで声をかけてくださいました。僕自身も、自分の(表舞台に立つ)音楽活動にピリオドを打つうえで、これ以上に光栄なことはないと思い、あの日のステージに立って、ようやくSARINOとしての音楽人生にピリオドを打つことができました。

自分は、13-14歳の頃から「アーティストになる」と決めてずっと音楽活動を続けてきました。そのすべての日々を25分間のライブに詰め込み、ステージの上に置いてきたという面でも、しっかりとケジメをつけられました。その思いが、みなさんの評価の言葉につながっていたのなら、そんな光栄なことはないなと思っています。

──あの日のライブにすべてを注ぎ込んだぶん、「ふたたび」の気持ちはもうないと…。

SARINO  ないですね。周りからは「不定期でいいからやればいいじゃない?」と言われますけど。僕自身が、音楽活動も、今の仕事もそうですが、「やる」と決めたら軽い気持ちではできないといいますか、何事も「生きるか死ぬか」で向き合ってきたんですね。とくに歌うことについては、本当に命を注ぎ続けてきました。

僕自身がギターキッズでもあったから、いわゆる趣味や遊びとして「セッションに参加してギターを弾く」程度ならあり得るかもしれませんが、自分がフロントマンとして歌うとなったら絶対に中途半端なことはしたくないので、今のところはふたたびステージに立つのは考えていないし、考えられないというのが正直な気持ちです。


純度の高いSARINOといいますか、僕の最もコアな部分を如実に表現したのがAnnie’s Blackの音楽でした。

──その意志を強く持って音楽活動を引退したわけですが、未散さんからの誕生日プレゼントのように、SARINOさんの誕生日の9月25日に、Annie’s Blackの1stアルバム『departure』の配信リリースが決まりました。みずから作ってきた音源が、今の時代によみがえるのは嬉しいこととして受け止めています。

SARINO  それは、僕も同じです。みずから生み出した楽曲は、自分の子どもと同じですからね。以前はCDという形でしたけど、時代の変化と共に、今はサブスクという新たなメディアが一般的に浸透している。メディア自体が変化した中、自分の子どもたちが、今も聴ける環境に置かれるのは純粋に嬉しいことです。

──Annie’s Blackは、SARINOさんのソロ・プロジェクトとして動いていましたよね。

SARINO  いくつかのバンドで活動をしていく中、自分がメイン・コンポーザーとして楽曲を手がける機会を多く持ってきました。自分の場合、プロデューサー的な視点でバンド全体を俯瞰し、各メンバーの個性や持ち味を意識したうえで、「今はこういう楽曲が似合う」と捉えては楽曲を作り続けてきました。自分で曲を生み出しているぶん自由度が高く見えますけど、他のメンバーやバンド全体のことも捉えたうえで創作をしてきたことから、どこかしら表現に制限を覚えていた面も正直ありました。Annie’s Blackは、それまでのバンド活動とは異なり、SARINOのソロ・プロジェクトとして始めたわけですけど、その始まり方が特殊だったんですよね。

──そこ、気になります。

SARINO  TINC(Shelly Trip Realize)としての活動を終えたとき、燃え尽きていましたね。自分としては音楽活動をやり切った思いでいましたし、バンドを解散して以降は、何にも手を伸ばせないような状態で毎日を過ごしていました。それでも、気がついたらギターを手にしては弾いていたんですよね。そんなときに、自分の思いを無意識で歌にしたのが、アルバムにも収録した『amid the despair』でした。ただしその曲は、タイトル通り「絶望の中」から生まれた曲でした。

  それまでの自分は、音楽で成功する以外の人生をイメージしたことがありませんでした。だけど、それまで当たり前にあった、ライブ日程やリリース活動を含めた「未来」が、バンド活動を辞めたことでまったく無くなったわけです。まるで時が止まったかのように、何の未来も見えていない中、毎日独りぼっちでたたずんでいる。そんな自分に、初めて怖さや絶望を覚えました。そんな絶望の渦中にいたときの思いを曲にしたのが『amid the despair』でした。

──そこが、Annie’s Blackの始まりになったわけだ。

SARINO  そうなんです。Annie’s Blackのどの楽曲も、今、振り返っても新鮮に聴けるのは、自分の中の制限をすべて取り払い、誰に求められるわけでもなく、ただただ自分が100%純粋に音楽に向き合い、追求した曲ばかりというのが要因だと思っています。純度の高いSARINOといいますか、僕の最もコアな部分を如実に表現したのが、Annie’s Blackの音楽でした。

──Annie’s Blackの楽曲は、何の制約も制限も持たせることなく表現していますよね。

SARINO  僕の場合はジャンルに縛られることなく、「こういうフレーズって面白いな」「こういうスタイルって格好いいよね」と、自分が惹かれた音楽の要素をガンガンに取り込んでは蓄積し、SARINOというフィルターを通して濾過されたいろんな音楽的な要素を、そのときごとのインスピレーションによって導き出された発想にミックスしながら生み出してきました。時代の流れにとらわれることなく、今でも新鮮に聴けるのは、そこにも要因があるのかもしれないですよね。

──十数年の時を経て、当時の息吹が今に蘇っても新鮮に感じるのは、そこに理由があったんですね。

SARINO  歌詞に綴った思いはとくにそうですが、Annie'sBlackに限らず、どの時代の楽曲も、そのときの自分の感情の分身だからこそ、本当に深い思いを詰め込んでいます。それこそ、「あの時期は、こんなふうに思い悩んでいたんだな」という繊細な気持ちまで見えてくる。Annie’s Blackの曲には、そういう心境がダイレクトに投影されていますから、人の感情が色褪せないのと同じように、曲に詰め込んだ感情もけっして色褪せることはないなと思っています。


1本の太い幹があったうえで、その枝葉が伸びて広がった。

──今回、サブスク配信という形でAnnie’s Blackの音源が復活しましたけど、SARINOさんはAnnie’s Blackとして活動を始めた当初から、MySpaceを発信の場に用いるなど、積極的に最新のメディアに手を伸ばしていましたよね。

SARINO 僕自身は、TINCを解散した時点で音楽活動から引退するつもりでいました。でも、無意識の中で、そのときの心境を曲にしていたように、気がついたら、ふたたび創作活動を始めていました。その時期に、音楽特化型のSNSとして話題を集めていたのが、今は無くなってしまったMySpaceでした。後にライブ活動を行うにあたってサポートメンバーを迎え入れますが、もともとは自分でプログラミングし、ベースやギターを弾いて、歌入れをするという、今でいうDTMの先駆けとして、すべての音楽をみずからクリエイトしていました。そういう音源を個人としてアップロードできるMySpaceに僕自身が興味を示したことから、「試しにアップしてみよう」と思い、先に3曲作り、その曲をアップロードしました。そうしたら、国内以上に、南米や欧州など海外からものすごい反響があり、いわゆるJ-POPチャートのダウンロードランキングの1位から3位を独占したんですね。その成果には自分でも驚きましたし、MySpaceの日本支部の方々も驚き、僕の取材もしてくださいました。

その活動を目にしていた未散さんが、「本当に悔いの残らない音楽活動をやりなよ、国内での活動をサポートするから」と声をかけてくださり、Aioria以来、ふたたびタッグを組んでLOOP ASHでやらせていただくことになりました。未散さんは、本当に後悔のない活動のレールを敷こうと、Annie’s Blackのデビューライブのステージを、SHIBUYA O-EASTで行った「LOOP ASH」の場に用意してくれたのみならず、舜さん(THE"FUZZ")、MORIさん(ex\:Wyse)、淳-jun-さん(ex\:Waive)、TAKAFUMIさん(KING)という最強の布陣まで声をかけてくださいました。それから2年ほど、このメンバーに支えられながら活動をしつつ、そこから若手メンバーへシフトしていったのですが、Annie’s Blackをやり始めた頃から音楽活動と並行して始めたIT関連の事業でのオファーが広がり出し、別事業に本腰を入れていくに従い、自然にライブ活動も減少し、気づいたらライブ予定が1本も無くなり、引退宣言をすることもなく、今の事業へと専念し、命を賭けて挑むようになっていました。

──今、行っている事業についても教えていただけますか。

SARINO  IT業務を軸に立ち上げた株式会社Grooveも、今年で11期目を迎えました。現在の事業を大きく分けると、「Web制作」「システム開発」「大手上場企業のプロジェクトマネジメント」「バーチャルオフィス事業」「撮影スタジオの運営」「メディアマガジンの運営」になります。そのうえで、いろんな細分化した業務を行っています。

──多角的に経営しているんですね。

SARINO  よく、そう言われますけど。僕の中では、1本の太い幹があったうえで、その枝葉が伸びて広がった形なんですね。その起源になったのが、バンド活動をしていたときの経験でした。


自分にとっての活動の一番の対価こそ、応援してくださる方々の笑顔でした。

──そこが、話の肝になりそうですね。

SARINO  いわゆる「こだわりの連鎖」ということですけど。みずから作詞や作曲をしていく中、活動にまつわるクリエイティブな面にも自然に手を伸ばしたくなりました。それこそ、フライヤーやCDのジャケットワークなど、自分のイメージする世界観をグラフィックの面にも反映したくてデザイナーとしてのスキルを身につけました。そうなると、今度はホームページのデザインなども気になり始め、みずからWeb制作のノウハウを身につけ、蓄積しました。同時に、アーティスト側として撮られることや、取材を受ける経験を多くしていたことから、写真撮影の技術や取材のノウハウも身につけ、それがスタジオの経営や、みずからメディアを立ち上げて発信する側にも結びつきました。そうやって、一つひとつの経験の連鎖が、今の事業にもすべてつながっています。

──すべてが、1本の道筋としてつながっていたんですね。

SARINO  そうなんです。まして僕は、インディーズという限りなくリソースの少ない環境で長く活動を続けてきました。それこそ、予算もコネもない。そのぶん工夫次第で、資金のない環境でもできることを増やしていける環境でもありました。「これがないからできない」ではなく、「ないなら自分で作ればいい」「けっして言い訳はしない」の精神で進んできたことが、経験という糧になり、今にすべてつながっています。自分の中では、アーティストとしての1本の軸をぶらすことなく、そこをこだわり抜き、そのプライドを持ち続けてやってきたことが、今の仕事にもつながり、事業化にまで発展していった。そう捉えています。

会社としても11期目に入り、まだまだこれからも躍進していきますけど。会社を10年以上続けてこられたことは、自分の自信にもなっています。そのタイミングで、改めて自分のアーティストとして残してきた実績を世に放てるのは本当に嬉しい限りですし、これも、繋ぎ続けてきた一つの縁が花咲いたことだと受け止めています。

──起業家としても事業を拡大しているのは、求める人のニーズに応える結果を出しているということですよね。

SARINO  そうだとしたら嬉しいですよね。これもアーティスト活動時代から一貫していることですが、自分が何よりも大切にしているのが「人を笑顔にすること」です。むしろ、それに尽きるなと思っています。アーティスト活動、いや、芸能という活動は、努力すれば報われるものではなく、いくら努力しても響かないときは本当に響かないんですよね。それでも、自分を支持してくれる人たちがいたから、十数年アーティスト活動を続けてこられたわけですけど。いつの時代でも、どんな環境に身を置こうとも、僕が一番大切にしてきたのが「応援してくれる人たちを笑顔にすること」でした。自分にとっての活動の一番の対価こそ、応援してくださる方々の笑顔でした。そのために、つらいことも、しんどいことも、時間も、何もかも費やしてきました。みんなから笑顔で「ありがとう」と言ってもらえる、そのためだけに僕はずっと音楽活動を続けてきました。

その気持ちは、今も変わっていないです。もちろん、ビジネスなので金銭は発生していますけど。今も根本にある姿勢は、「クライアントの声に耳を傾け、実現したい意図をつかみ、それを「こういうことですよね」と形にして提供していく」こと。そこで成果を導き出し、クライアントの方に「ありがとう」と言ってもらえる。その言葉が嬉しくて命を注いでいます。そこの姿勢は、昔と何も変わっていません。

──SARINOさんは、エンターテイメントの世界にも、IT企業という立場でいろいろと関わりを持っていますよね。表舞台には立たないだけで、裏方としてエンタメ業界を底上げしているところにも、SARINOさんらしさを感じています。

SARINO  それこそプロデューサーという立場でいうなら、楽曲提供を含め、アイドル事業には深く携わっています。自分にとって楽曲を作るのは、息を吸うのと同じようなこと。そういう面でも、必要に応じて音楽制作は行っています。ヴィジュアル系界隈についても、この夏に欧州で行われた最大のJ-ROCKフェスと言われた「B7 KLAN J-ROCK FEST」に、オーディションライブで選ばれた1組のバンドが出場しています。そのオーディションに向けた特設Webサイトや、投票システムを弊社で構築するという形で、フェスに携わらせていただきました。他にも、未散さんを筆頭に、昔からのつながりから、バンドさんや事務所、レーベルの方々など、いわゆる裏方としての立場ですが、お声がけいただいたときには積極的に携わらせていただいています。

普通、音楽活動を引退したら疎遠になりがちですが、今でも、昔からつながりのある方々が「SARINO、今何やってるの??」「こういうことできたりする??」と声をかけてくださいます。人とのつながりは、今も、僕の最高の財産になっています。Annie'sBlackの配信音源化だって、未散さんとの長年のおつきあいから形になったものですしね。


あなたが培ったスキルや、育んできた人とのつながりは、誰にも負けない大きな財産になっていきます。

──1stアルバム『departure』には全部で10曲収録しています。よければ、2-3曲挙げていただき、楽曲に込めた思いを聴かせてください。

SARINO 自分の中で最も思い入れの強い楽曲が『amid the despair』です。視界が閉ざされるほどの絶望感といいますか、すべてが燃え尽き、自分にはもう何も残っていないという、精神的に一番しんどかった時期に生まれたのがこの曲でした。『amid the despair』には、一筋の光に手を伸ばしても、そこには届かない。そんな思いを歌にしています。当時は、まさにその心境でした。だけど、その思いを楽曲としてしっかりと吐き出せたからこそ次の一歩に繋がったといいますか、『amid the despair』が生まれていなかったら今の自分はないと言っても過言ではないくらい、閉ざされていた自分の未来と再び繋がるための、一本の細い糸になってくれました。そこからでした。少しずつ自信を取り戻し、「また歌ってもいいんだ」という気持ちになったのは。その後、仲間たちとの再会にも繋がったように、『amid the despair』は、改めて自分の音楽の扉を開けてくれた楽曲でした。

 アルバムの冒頭を飾った『departure』は、北極星を道標に、ふたたび大海原へ船出するような決意を示した曲になります。答えも正解もない芸能の世界とわかったうえで、どんな荒波に揉まれようと、たとえ嵐に巻き込まれようとも、それでも航海に出るという決意を、この曲を通して僕は示しました。

 もう1曲挙げるなら、バラードの『if...』ですね。歌詞も、楽曲の構成も含めて、「もうこれ以上の楽曲は書けない」と納得するくらい自分の中で100点満点の曲。今聴いてもグッとくる、とても思い入れの強い楽曲です。

──SARINOさんの場合、まだまだサブスク化されていない音源があるじゃないですか。今後も出していく予定はないのでしょうか。

SARINO  そこは、レーベルさんなどとの兼ね合いもありますから、僕だけの判断で決められることではないですけど。僕自身が世に放った楽曲を数えたら100曲は超えていますし、思い入れの強い曲たちも多くあります。それらを収録したベスト盤を作ってみたいなという思いは密かに持っています。それこそ、新録したっていいわけですからね。どれも命を削って作った曲だからこそ、そのまま眠らせてしまうのはもったいないなという気持ちだけはあります。

──たとえ表舞台に立つことはなくても、そういう形で音楽を紡いでいただけたらとても嬉しいです。最後に、伝えたいことがあればお願いします。

SARINO  僕の場合は、音楽とは異なる道をセカンドキャリアの舞台に選びました。いわゆるビジネス業界に転身して以降、自己紹介を兼ねて過去のことを話すと、みなさん「そんな活動をしていたなんて、すごいことだよね」と驚いてくださいます。最初は、会話の流れの中、お世辞として言っているのかなと思っていましたけど。みなさん素直に驚かれるし、尊敬もしてくださるんですね。

音楽活動の場にしていたインディーズシーンで僕は、楽曲の創作のみならず、商品の企画制作から、流通、販売まで、すべてに携わってきました。それを会社で置き換えるなら、普通は分業制として、配属された部署で、その一部のスキルを専門に学び、身に付けていくものじゃないですか。でも僕もそうだったし、インディーズシーンで活動しているアーティストは、点として存在しているいろんな工程を一つの線として繋げ、すべての工程を身につけて活動しています。当時は、すべての物事について必死に学ぼうと死に物狂いでしたけど、そのおかげで今に繋がるスキルを身につけたんだと思えたら、インディーズシーンでミュージシャンがやっていることは、とても誇れることなんですよ。

バンドマンにも、役者にも、芸人さんにも言えることですが、たとえ夢が叶わなかったとしても、それが人生の終わりだとは思わないでほしいんです。それまで必死にやってきたことは、かならずその人の糧になり、違う業界に足を踏み入れたとき、そのときのスキルが一つの武器になっていくし、その人を輝かせてくれる。自分らしさを見失わない限り、絶対に道は切り開けると僕は思っています。だからこそ今、信じている道がある人は、迷わずにその道を突っ走ってほしいし、セカンドキャリアへ踏み出そうとする方でも、それまでに培ったスキルは絶対に武器になるから、それを胸に、自信を持って新しい道を歩んでほしい。僕の経験を通して、その思いを、今、夢を追い続けている死に物狂いで頑張っている挑戦者たちに伝えたいです。あなたが培ったスキルや、育んできた人とのつながりは、誰にも負けない大きな財産になっていきますから。

最後に、これまで僕のことを応援してくれたみなさんへ。

今回の配信には、長い間僕の音楽を愛してくれたみなさんへの感謝の気持ちも込めています。

今の僕は、もう音楽家とは違う道を歩んでいます。

それでも、あの頃みなさんが応援してくれていたSARINOは、形を変えながら今も前進して生きています。

音楽を通して誰かの心を動かしたいと思っていたあの頃と同じように、今は違う場所で、誰かに喜んでもらったり、感謝してもらったりできる存在になろうと、相変わらずがむしゃらに走り続けています。

だから、もし今もどこかで僕のことを覚えていてくれる人がいるなら、「あの頃、自分が応援していたアーティストは、今も元気に頑張っているんだな」と、少しでも思ってもらえたら嬉しいです。

そして今回の『departure』を通して、あの頃の僕の歌が、みなさんの思い出とともにもう一度心に響いてくれたら、これ以上嬉しいことはありません。

これまで応援してくれて、本当にありがとうございました。

僕はこれからも、前を向いて進み、挑み続けます。

どこかでまた笑顔で、会いましょう。

この機会に、一度Annie’s Blackの音楽に触れていただきたい。今、聴いても、きっとあなたの心を揺さぶるはずだ。


TEXT:長澤智典 


INFORMATION

 

配信中!

Annie’s Black「departure」

配信リンク

https://pcim.lnk.to/departure

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Aioria (アイオリア)

「煌め逝く瞬間」 (キラメユクトキ)

https://ingrv.es/yxvebx-zco-2

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未散プロジェクト

「封印の残像」

「悲哀の破片」

「楽園の誕生」

https://ingrv.es/rcwfu-ulbyy-mrhir-zzm-m

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未散プロジェクト

 「夢柔力」

https://pcim.lnk.to/MUJURYOKU


SARINO 現在の活動

現在は本名の荻野正法として、株式会社Grooveと株式会社原宿POPの2社を率いる。Web制作・システム開発から起業家支援、メディア、撮影スタジオ、アイドルグループのプロデュースまで、多彩な事業を企画・運営。アーティスト時代に培った表現力とプロデュース力を、現在は経営の現場で発揮している。


■株式会社Groove 代表取締役

Web制作・システム開発を軸に、企業や団体の課題解決を支援。総務省・特許庁の特設サイトやG7関連の国際会議案件など、多様なプロジェクトの制作を手がけてきた。

https://groove-style.jp/


■株式会社原宿POP 代表取締役

原宿のファッションとKawaiiカルチャーを国内外へ発信。Webメディア、フリーマガジン、撮影スタジオを展開し、コンテンツの企画から発信までを担う。

https://harajuku-pop.jp


【主な事業・サービス】

■PocketOffice

オフィス機能に加え、起業家同士の交流や事業の成長を支えるコミュニティ型バーチャルオフィス。

https://pocket-office.jp/

■ホームページおまかせパック

初期費用0円・月額1万円(税別)で、企業や店舗のWebサイト制作を支援するサービス。

https://hp-omakase.site/

■東京Kawaiiスタジオ原宿

ロリータファッションを「着る・体験する・思い出に残す」撮影スタジオ。

https://kawaii-studio.com/

■HARAJUKU POP WEB

原宿のファッションやカルチャーを発信するWebメディア。

https://harajuku-pop.com/

■HARAJUKU POP MAGAZINE

全国に3万部を配布する、Kawaiiカルチャーを発信するフリーマガジン。

https://harajuku-pop.com/distribution/


【アイドルグループのプロデュース】

■antares

「キラキラに輝く一等星」をコンセプトにした5人組アイドルグループ。

https://antares-official.com/

■りあくしょんバイト

釣りガール×アイドルをコンセプトに展開したグループ。第1期の活動を終了。

https://r-bite.com/